「共感による傾聴」はカレーライスから辿る想ひで

第五の習慣

聞くレベル 幕下

レベル1.無視

その通り、
全く聞いてない。聞くふりさえしない。

レベル2.聞くふり

相づちをうったり、目を見たりして
「話、聞いてます」という姿勢を見せているだけ。

レベル3.選択的に聞く

なんとなく聞いているが、気になるところだけ、必要なところだけ部分的に聞く。

私たちはたいていまず自分を理解してもらおうとする。ほとんどの人は、相手の話を聴くときも、理解しようとして聴いているわけではない。次に自分が何を話そうか、考えながら聞いている。話しているか、話す準備をしているかのどちらかなのである。(7つの習慣 P.343)

だいたいレベル2-3です。
さすがに、日常生活で露骨にレベル1の無視は、喧嘩に発展する。
が、下世話な話、夫婦の会話や上司部下の会話って「無視」してませんか?

聞くレベル 大関

レベル4.注意して聞く

「神経を集中して、相手が話すことに注意を払う(P7つの習慣 .345)」

一般的な傾聴がコレ。「よく聞く」と同じこと。
大事な話と思ったら、これぐらいの能力は発揮できます。

問題は次です。

聞くレベル 横綱

レベル5.共感による傾聴

3つのポイントがあります。

①「共感による傾聴とは、まず相手を理解しようと聞くことであり、相手の身になって聴くことである(同 P.345)」
注意を払うのは話す内容ではなく、相手そのものにフォーカスする。

②「共感は同情とは違う。(同 P.345)」
共感というと、相手の感情に対し自分が同調することが共感であり、相手の感情に対して自分が評価することとは全く違う。

③「共感とは…相手の目で物事を眺め、相手の見ている世界を見ることである。それによって相手のパラダイム、相手の気持ちを理解することである。(同 P.345)」
相手そのものとは、相手のパラダイムとパラダイムに基づく気持ちを理解すること。
よく「相手の立場になって考えなさい」といいますが、相手のおかれた状況だけじゃなく、相手がどんな知識や経験、価値観をもっているか、価値観から置かれた状況をどのように認識し、感情や行動へと繋がっているのか
これを理解しようとする。

パラダイムという言葉は1962年にトーマス・クーンという科学者が使った学術用語です。簡単にいうと、知識の体系によって物事の考え方や価値観が決まる、というもの。科学が行き詰ったときに、これまでの知の体系ではなく、新たな知の体系によって科学に革命をもたらそう、というものです。パラダイムに訳語はありませんが、日本語で近いものでは「視座(Perspective)」といったりします。こっちは、物事を認識する枠組みというもの。

パラダイム・シフトは知識を変えることで考え方や行動を変えるというもの。視座は、そういう物の見方をしている、と理解すること。

下世話ですが、7つの習慣全編を通して、私たちに新たな知識を提供しパラダイム・シフトを促していますが、実際に会得するのは新たな視座=物の見方といえるかな。

つまり、共感による傾聴とは
相手のパラダイムを自分にコピーすること。パラダイムは知識であり、考え方や価値観。相手のパラダイムをコピーして得た視座で、相手の置かれた状況を見ることで湧き上がる感情を追体験する。
この能力の獲得を目指そうとします。