人間関係を築くときにもっとも大切なのは、あなたが何を言うか、どう行動するかではない。あなたがどういう人間かということだ。
(7つの習慣 P.256)
ベビーカーがぶつかったがどうの、
タバコが煙いとか、
失言がどうのとか、
デザインをパクったとか、
構築主義という考え方がありますが、誰かが問題だと騒ぎたてると、そうだそうだとなり、他方で異なる考え方を持つグループが形成され、お互いに対立になっていく。
政策的には「第三の道」までも行かない落とし所を付けるのですが、ともかくノイジーだなぁと。
こういう世の中が悪いという言い方も好きじゃないですが、かといって7つの習慣の根底にあるようなニーチェ的な思想も両手を挙げて賛成しかねます。かといって、善人というわけでもない。
たよるもの、すがるものなく、生きていけるほど、人は強くない。
(元ネタあり)
まぁ、ノイジーでも、
あるがままに受け止めるより他なく、その中で自分は自分が影響できる中でどーしようかと考えて、やるだけと考えています。
ある朝、電車に乗っていて
フト気がつくと車内で人が倒れていた。
まじか!?と思ったが1ブロック離れており、倒れている人のそばに人もいる、降りる人もいる。
誰か対応するだろう…と思っていたら
全員スル―して電車は出発してしまった。
降りる人は、車内出口の前に倒れる人を跨いで出ていってしまった。
誰も何もしない。30人ぐらいいます。
私も病気で車内で倒れ昏倒したことがあります。
その時は誰がどうしてくれたか、分からずじまいになっていました。
もしかしたら、あのとき誰かがフォローしてくれたのかもしれない。
と思って、
私は今倒れている人に歩み寄り、手を貸し、駅員を呼んだ。
その人は、駅員によって搬送された。
結果、電車は遅延した。
それで困る人もいたかもしれない。私が止めたのだ。
7つの習慣とは別に、「因果応報」という言葉を私の判断基準の1つにもっていて
いいことしたら、いいことが返ってくるし
わるいことしたら、悪いことが返ってくる。
なんかそういう摂理で、自分も助けられたのだからこの人も助けるか。と手を出した。
これからも電車に乗るだろう。
電車が遅延して、私自身が困ることもあるかもしれない。
けれど、私は過去の私のためにも、そんなことにイライラしたりしない。
善いことも悪いことも、相対だ。
どこかでひずみは起こる。
年をとって、そう思えるようになった。